集団自衛権のない家2

国の交渉には国の交渉レベルのスケールでしか動けない。
そのレベルで集団自衛権は納得できると書いた。

日本は特殊で、会社や国のためという発想がまかり通る国ではある。
これが全体主義につながる。

ヨーロッパや北米に行けば、全体の前にまず個人の幸福と意見がある。そしてどうしても納得出来ない場合、移住もそう難しくはない。
これは南米でも同じだし、中国ですら個人の尊重の仕方は日本より大きい。

その特殊な日本においてすら、外交という国全体として一つの意見がまとまるという事はない。
それにも関わらず、意見が通らないと文句を言うのは、無茶な話である。はじめから、国民全員一致という事は考えられない。
 
だから、多数決という妥協策に至る。いずれにしても、日本の場合多くの海外の国と比べても、少数側の立場も考えた策は同時に打たれている。
 
国民の生活・福祉という個人に影響する話まで詳細に総理が行えるものではない。それを補完するのが、それぞれの大臣であり、官僚であり、役人なはず。

個々人の幸福論は、現実的には市町村が実働官庁であるし、動いていないし、国民全体としてしか動ける訳がない。
 
そして世界が問題としているのは、戦争犯罪者に認定された人を靖国神社に合祀した事である。
日本にはまだ、テロ国家を支持している有力者がいるという現実に対して用心している。