杭州で小休止

朝8時半に起きる。
ここの宿、エアコンの効きが弱い。
朝、寒いから起きるのが億劫になる。
 
でも今は旅。
そんな事を考えている状況でも、気分でもない。
 
鳥鎮へ行きたい。
そしてここは以前にも行った運命の道。
 
杭州の総合バスセンターは街から遠い。バスで1時間かかった。
ビックリした。なんでそんな遠くにバス停作ったんだろう。
でさ、接続の電車とか無いわけだもん。
 
朝、宿にいくらくらいで行けるか聞く。
100元だって。
いいよ、時間を買うよ。
軽く西湖の畔を歩いて、道に戻った。
タクシーを捕まえて、言ってみる。
ウォーヤオチューツェイガー!
地図を見せながら、伝わる。
初めて考えて覚えた中国語。
ツェイガー?
運転手のお兄ちゃんが聞く。
ドォイ
シーシー
って感じで伝わった。
 
初めて、単語を一方的に言うのから、会話になった感じ。
この掴んだ感じをのは体得するのは意外に難しい。
必死になってコミュニケートしないとならない状況になると、急に出来るようになったりする。
意外に何とかなるんだよね。
最低限のコミュニケーションなら。
 
タクシーは結局62元。
ちょっと得した気分。
 
もう行ける!って思った。
 
バス停に着いたときもそう。
簡単なパズルが解けるように簡単な言い方が分かる。
我要去上海現在=これから上海に行きたい
なんて言うのが簡単に出た。
我要去上海明天といえば明日行きたいになるし。
それに時間を加えれば、もっと細かく説明できる。
 
初めて本を使わずに、切符を買うことが出来た。


バスに乗る。戦争映画をやっている。
過去は映画になって残る。
たぶん悪意がなくても、旧日本軍は絶対に悪者として登場する。
そういう映画が何本も眼に入った。
バスの中とか、ホテルのテレビとかね。
 
国際問題とかそういう話は無視しても、現実としてはやったことは絶対に残る。
それが歴史。
語られるのは政治経済ではない。庶民の風俗から多くが語られる。