テレビがおかしくなった理由2

当時、世の中を現実に動かしているのは大衆ではなくて、情報を発信する側の力が非常に強かったのは確か。
そして、大衆を扇動できると確信していたし、実際やれていたと思う。
 
まさに好き放題だった気がする。
 
娯楽の部分をテレビに奪われた新聞は、印刷メディアとニュースに特化する。
そして我こそは社会の正義というイメージを作っていく。だが、そのイメージに最も感化されたのが新聞社の人間達だったとういうのが笑える。
 
それは、たぶん人気者が落ちぶれるときに、別の看板に掛け替えて人気者でいようとするのに似ている。
 
善意のある、心義のある記者もそれなりにいると思うけどね。
何種類かの新聞を、見てみれば解るんだけどだいたい同じニュースが乗っている。
何でか…
 
ニュースソースが同じだから。
新聞社は通信社からニュースを買っている。
海外記事のほとんどは大手通信社から買っている。だいたいが大手通信社。
そして、大手通信社は数えるほどしかない。新聞社の多くは大手通信社と契約している。
 
紛争地帯で、たまに日本人ジャーナリストが死ぬ。
でも確認してみて欲しい。
彼らは新聞社の人間ではない。
 
ほとんどの場合、通信社か新聞社、あるいは雑誌の取材で来ている「フリーランス」なんだよね。
 
それが現実。
本当に心意気がある人が現場に残る。
心意気がなく、仕事として安全を求める人が安全な場所でつまらないものを作る。
 
つまらない人生は、負け犬の人生って誰かが言ってた。