レオナルドの思い出1

友達がイタリアに行っている。
それはいいとしてダヴィンチの話になった。
万能の天才と言われているレオナルド。
サイトゥ−ンはダヴィンチが大好き。本当に天才だったのかは知らないけど。
 
彼は実の母親とほとんど過ごしていない。
その詳細は後で気が向いたら書く。
 
天才的に賢くて社会を正しいものと思わないとしたら、たぶん人格が形成される時期に、親や社会に疑問を抱きながら成長する事になる。
 
子供の頃、理想論的な教育を受けながら、現実に社会で起きている世界とのギャップ。
具体的に言えば、キリスト教の教えと宗教が元で人が殺しあうって矛盾だったり。

それは現代の幼稚園児でも感じる事だと思う。
それは思考の片隅に矛盾として残る。
 
彼は賢いから矛盾の原因を理解しながら成長する。
だけどそういう矛盾を考えつつも、世の中に対して平和とか人道とかあまり語っていない。
 
彼くらいの能力があれば、社会の平和とか秩序とかを語っても不思議じゃないのに、あまり見当たらない。
まったく無いわけじゃないと思う。
たぶん青年になったダヴィンチは、その理想と現実のギャップと解決策を近い友人や工房の仲間と話した事もあったと思う。だけど話がかみ合わない。同じ思考で会話できる人がほとんどいないって現実が日常的にある。
そのうち諦める、自分が見えているものは他の人には見えていないと…
 
そういう部分で賢いってのは孤独なんだろうな。
 
工房に弟子入りしてあっという間に認められた。彼は師匠のタッチをほぼ完璧にこなして、それ以上の筆技をこなしている。
 
なぜそんな事が出来たか。
彼はそれまで「なんとなく」だった絵画手法を論理化したからなんじゃないかなって思った。
 
遠くのものが小さく見えるって誰でも知っている事を遠近法に。
遠くのものは白かかって見えるっていう常識の明確化。
鳥はなぜ飛ぶか、水はなぜ流れるか…
 
目に見えるものからほとんどの発想が生まれている。

子供の頃に親と離されたことを折り合いをつける手段として彼は、物事を客観視して理屈で理解するって手法を使ったんだと思う。
 
それにしても賢いのは間違いない。