ティファニーで朝食を見た2

実際に、こういう恋愛を経験すると、理解できるのだけど…
二人の生活に飽きたオードリーは次のお金持ちのネズミを探し始めるだろう。
そして、捨てられた作家はその恨みつらみを作品につぎ込んで作品を創造出来るだろう。
オードリーは男の気持ちを落とすまでは燃えるが、その先は手のひらを返すように興味がなくなる。
だってモテるんだもん。
仕方ないよね。
 
ポイントは、オードリーは直接的にお金が欲しかったのではない。自分のしたい事が自由に出来る力が欲しいのだ。それがお金で手に入るだけの事だ。
だけど、「何がしたいか」が描かれていない点。たぶん「したい事はない」って事。ただ自由をかなえる力が欲しいだけだったりする点。
したい事がないのに、力だけを欲しがっている。
裕福な生活になれば、まわりも裕福な社会に入る。
そこで比較して、もっと裕福にならないと不安になる。
結局、他人との接点が、自分の判断基準なんだと思った。
 
でも、この映画は、そんな事への戒めなんかじゃない。
 
結末。
オードリーは自分を見つけたんじゃなくて、金持ちに去られただけだもん。
男の作家はオードリーに惚れたんじゃなくて、小悪魔的な美人に惚れただけだもん。
 
まあ、人間なんてそんなもんだ。って見方が良いと思った。