宗教の本質

キリスト教に関して思うのは、権力装置だと言うこと。
正確に言えば一神教は権力装置の構造に最適だということ。
「神様は絶対で万能で間違いがないので文句を言ってはいけない。」
 
ものを盗まれたら、不幸だけど神様が与えた試練になる。
宗教戦争で息子が死んだら、殉教と言われ、名誉になる。
 
貧乏で餓死したら、神様が行ったことだから仕方がないといわれ、天国で幸福になると言われる。
  
本当かよ…
 
でも神様が言うんだから仕方ないよな。どんな不条理でも、どんな貧乏でも神様が与えた試練なんだよね。
与えられちゃう訳なんです。
だってさ、人とか地球とか作った方で、生き物すべてに眼が届いてるんだぜ。 
 
この神様を王様に変えてみるとどうなるかというと、
「王様は絶対で万能で間違いがないので文句を言ってはいけない。」
となる。
 
おんなじ人間をそんなこと思える?たぶんならない。
だから王様は時に首を刎ねられたりして、領民にとっても悪くない選出が出来た。
 
武力は怖いけど、地獄に落とすなんて荒業できないもん、王様程度じゃさ。
首を刎ねられたくないじゃん王様だってさ。その家臣だって路頭に迷うから。
 
さて、どうすればいいか…
そうだ、王様は神様に選ばれた事にしよう。
 
王様が神様に選ばれた時代は、こういう風に考えたのでした。