朝、ぎりぎりまで寝てシャワー浴びて朝食。
朝ごはんはついているって言われてたんだけど、なんか請求された。
600円くらい。
なんか面倒くさくなって、そのまま払って空港へ。

ゲートに早く行って待ってた。
ずいぶん人がいない。しばらくしたら人が増えだした。安心して待っている。
で、
9時半のフライトなのに10時になった。
おかしいなと思いつつ、周りは落ち着いている。
ちょっときょろきょろしだした。
隣に座っている女性が何か心配?
って聞いてくれた。
フライト遅れてる?って聞いた。
この人もかなり美人。きりっとした眉で、アンジェリーナを35歳にした感じ。
チケットが同じだからリオに行くのは分かっている。
搭乗までの短い時間、いろいろ教えてくれた。
リオは本当に気をつけてって、私も財布とかは体に隠して身に着けているからって言ってた。
サンパウロは危なくないわっても言ってた。
言葉をひとつ教えてもらった。
「ありがとうございます」…ありがとうじゃなくて。
muito obrigado
これは結構使うことになる。
お礼に名刺を渡した。
 
リオで荷物を待っていたら、彼女は名刺をくれた。
もし何かあったらここに連絡してって。
たぶん携帯の電話を手書きで書いてくれてた。
 
アンジェリーナの名前はアナ。
ちょっと南の(こっちでは寒い方の)電源とエンジンの商社のマネージャー。
やっぱ仕事できる女性って格好いいね。
 
ちょっとゆきえちゃんの事を思い出す。
 
muito oburigado, y take care myself.
空港のバゲッジ・クレイム。
手を振ってアナ・アンジェリーナと別れた。
 
空港を出ていきなりタクシーの客引き。
勢いに押されて、つい乗ってしまった。
コパカバーナまで60レアル。
 
本当は40レアル。
彼は10分で1000円を稼いだことになる。
 
ホテル・デプレーへ。
空港を離れるといきなり左右に延々と続くファベーラ。
ちょっときついな〜。
ほんの少し雨もぱらついている。
何ていうのかな…荒んだ国に来た感じ。
 
今までの因縁がフラッシュバックする。
サンバは好きだけど、ブラジルが好きなわけじゃない。
無意味に危ないところに行きたい訳じゃないよ、って思う。
 
30分くらいでホテルへ。
コパカバーナビーチ正面。
 
まずポルトガル語知らない。
レセプションは英語で聞く。
「しばらく泊まっている日本人の集団がいない?」って。
考えてみたら、みんなの本名知らないんだよね。
クマールとかジョージとか。
レセプションのオジサンが、ワタナベか?って聞く。
ワタナベかどうかは知らないけど、クマ何とかってのはいるかな?
ワタナベから聞いてる。部屋いるよ。
そりゃ良かった、
ちょっと待ってて、電話するから。
5秒ほどポルトガル語の会話。受話器を渡される。
「こんちわ、今つきましたよ」
「早かったな」ってジョージさんの声が聞こえた。
 
サイトゥ−ンのお任せブラジルコースが始まった。
 
遅い時間の軽い昼食をビーチ沿いのレストランで取る。
夕方からレッスン見物。
ボラシア先生だっけな、ダウンタウンのダンススクール。
かなり格好の良い、味のあるところだった。
 
地震が来たら崩れそうなビル。というか倉庫。
 
男のダンサーのレベルの高さにぶっ飛んだ。
スペシャルなショックじゃないけど、リズム感とか表情とかね。
でも、届かないレベルじゃない。真剣に練習続ければ絶対届くレベル。
全員ワッキーな感じだけど、ワッキーのほうがうまいかも知れない。
 
日本に帰ったら、踊りは真剣にやろうかなって思った。
 
夜は、「おじさん」と呼ばれる人の家へ。
この人は、連綿と続く日本のサンバ馬鹿の系譜の冒頭のページに、金箔貼りで輝くような人だった。
 
実質的なアレグリア創設者の一人で、事業を息子に譲ってリオに移り住み、ブラジル女性を娶り、優雅な老後をブラジルで過ごしている。
日本のサンバ創世記の伝説で、サンバ者がリオに来るといろいろ力になってくれている人だった。
 
日本サンバ草創期を面白おかしく話し、バルバロスの高橋元リーダーを、重雄と呼ぶ人はそんなにいないね。
 
その後、「おじさん」は、有名なダンススクールにつれていってくれた。名前は忘れた。
 
夜帰ってから、部屋にプル先生が来る。
ジョージ先生と組んで練習。
延々と2時間くらい。
夕方のレッスン中に撮影したビデオを繰り返す係をやる。
でも眠くなる、無意識に寝ながらテープの巻き戻しをしていた。
で、寝た。
ただ印象的だったのはジョージさんでも覚えるときは、こんなに練習するんだって事。