本当の日本の姿5

自分を信じられない。 
それは生き物として、最悪に近い。
 
では何を信じるのか。
手っ取り早く、不安を埋められるモノを信じる。
 
宗教とか、車とか、ファッションとか。
 
別にファッションも宗教も車も便利なモノで否定するべきなモノではないと思う。
問題があるとすれば、そこに自分の意志がなくすがること。
つまりその自分以外のモノの奴隷になる事。
 
自分の隙間を他人の考えで埋める。
生き物として最も重要な意志と決断を放棄する。
 
本来、そういうダークサイドに落ちないために学問というものがある。
学び、問う、単純な話だ。
 
自分で考えて、学ぶという単純な話だ。
 
生きる上で学ぶという意味で言えば、野生の動物の方が基本はしっかりしている。
楽しむという上では、日本人よりもラテン人の方が意味を理解している。
 
度を過ぎた便利・快適・安全の枠が、人生を価値のあるように生きるという基本をおかしくしている。
 
どうもそんな気がする。
そして本質的な学問は、日本の凋落を少し先のばしてくれるかもしれない。
 
お金を恵んでも、もっと要求するだけ。
お金の生み出し方を教えるのが大事なのだけど。
 
それを本気で言う政治家は、小泉純一郎で切れた。
政治は偽物に文化人のように先の見えない弱者対策を売り物にしている。
 
本気の言葉に耐えられる国民がまだほとんど。
でも数年後には本気の言葉に耐えられる人は激減する。