黃山の湯口で羅さんと会った日

朝起きて、ホテルの朝食を食べる。
みんな厚着。
ってかホテルのロビーもレストランも暖房らしい暖房がついていない。
そこそこ良いホテルなんだけどね。
 
でもそれが中国なのかもしれない。
そして、それで良いと思う。
 
朝、ホテルのロビーで昨日のおばちゃんと待ち合わせ。
昨日と同じATMへ。
やっぱり動かない。
 
そうこうしていたら、日本語を話す若い男の子が現れた。
別のおばちゃんと一緒に銀行にいた感じ。
 
たまたまなのだと思う。
なぜこんな山の中に日本語を話す人がいるのかと思いつつ、事情を話す。
 
彼が一緒にいたおばちゃんは、後から聞いたらお母さんだったんだけど。
彼から言われた…「せっかく来てくれたのに、こんなことになって申し訳ないです」
たどたどしい日本語。でも正確な日本語。
 
なんでそんなことを言ってくれるのだろう。
勝手に一人で来た日本人の観光客に…おばちゃんにしても、ホテルのお姉ちゃんにしても、この彼にしても。
 
ちょっとでなく感動した。ほんの少し泣きそうになった。
 
少なくとも今目の前にいるのは、日本でよく言われている、お金にうるさくて時として手のひらを返すと言われる中国人ではない。

それは、世界一周でも感じたこと。
人間には、信じられる人と信じられない人がいる。
そして人種や地域やお金の有無に関わらず、ほとんどの人間は信じられる。
そういう確信を持っている。

余談だけど、信じられない人には傾向がある。
理想的な人物像…例えばエリートで優しい人を詐欺師が演じる事が多い。
これは明らかに悪意があっての人たちだから、演じ方も芸であり人の優しさに付け入る。
親切な人に出会った場所が有名な観光地や空港を出た直後だったりすると、それは偶然ではないことがままある。
好事魔多しと用心するしかない。

もう一つの信じられない人は、自分の意志が弱い人。あるいは自分で意志を決められない状況にいる人。
意志を決める力がなければ状況の変化や立場によって趣旨や理屈が変わってしまう。これは眼を見ていればかなり分かる。加えて話し方や仕草を観察すれば、数分で感じる。
なぜ分かるかというと、自分でモノを決められない人に責任はなく悪意もないから。好むこの混ざるに関わらず責任を持たない人の眼は正直だもの。
 
実は昨日の夜に気がついていたのだけど、おばちゃんはホテルの人ではない感じがした。
昔は日本の観光地にもそういう人はいた、と思う。
と思うというのは、10歳くらいまでのおぼろげな記憶だから。
 
おばちゃんはいわゆる取り持ちの人。
観光客がやってきて、勝手が分からず困っているところに寄って、ガイドを紹介したり、ツアーを紹介したり、レストランを紹介したり。そんな取り持ちをして手数料をもらっている人だと思う。
なんでかっていうと、はじめ別のホテルに入って、断られて隣のホテルに連れて行かれたから。
 
本当に困ったとき、こういう人が…つまり生のネットワークを持っている人が助けてくれると本当に心強い。
おばちゃんと羅さんという日本語を話す彼は隣町のATMまで連れてってくれた。
 
そのATMで、やっとお金が引き出せた。
もしここで出せなかったら、二人は1時間かかる屯渓までも付いてきてくれてたろうって思う。
 
とりあえず、ピンチは脱出。
でも、もう一度山頂に引き返すのは止めた。
 
もう一度来ればいい。
いつか、ちゃんとお礼をしなきゃって理由もあるし。
 
羅さんが、家はお茶屋さんだから来る?って聞いてくれた。
お礼にお茶を買おうとも思ったので、連れて行ってもらった。
 
その後、ホテルに支払いをしに戻る。
昨日の英語を話すお姉さんはいなかった。
 
羅さんのお母さんのお店に案内される。

こっちの店らしく、玄関は広く開けっ放し。
壁際に商品が並び、真ん中に四角い四人かけのテーブル。
 
奥には、彼の叔母さんとお母さんが足下を毛布で包み、段ボールの箱に足を入れていた。
別に貧しいとかでなくそういう感じで暖を取っていた。
そして液晶テレビがあり、衛星放送を見ていた。
 
寒いから厚着をする、それだけのこと。 
そんな感じに、なぜだか人の温かい生活みたいなものを感じていた。
 
羅さんと日本語の話をする。
彼は、大学で英語と日本語を勉強しているとこのこと。
 
お店に東野圭吾の単行本があった。
麒麟のなんとかって本。
 
冬休みにその本を翻訳するらしい。
女性の知人から頼まれているとのこと。
 
「分からないところがあったら説明するよ」と言ったらいくつかあった。
こんな文…
普段、翔太は我慢強く頑固なのだが、さすがにその状態では、いつもの気質で耐えきれるものではなかったのではなかったのではないかと思われた。

日本人でも難しい。短くすれば…
翔太は我慢強いけど、痛くて耐えられなかったと思う。要はこういう事。
日本語の言い回しって、二重三重に回せるんだなって理解した。
 
まあ、小説はね。
一時間くらい、そんな説明をしていた。
そして、そろそろ帰る時間。

湯口を離れる時間。
羅さんのお母さんが拉麺をご馳走してくれた。
海老玉乗せの素麺みたいな麺のラーメン。
その気持ちまで美味しく感じていた。
 
おばちゃんがまた迎えに来てくれた。
 
ホテルに戻って荷物を受け取る。
歩いてバスの停留所に向かう。
 
街の上にある、幹線道路の大きな橋を渡る。
また泣きそうになる。
でも堪えた。これだけ大事にされて泣いちゃいけない。
思いっきり笑って別れないと。
 
でもバス停ではなかった。
なんとなく決まっている場所。別のホテルの前。
 
スペインの田舎もこんなだった。
バス停らしいものがないけど、そこがバス停。
 
本当に最低限の言葉が分からないと、この国は旅ができない。
少なくともサイトゥーン式の旅は出来ない。
って思った。
 
少しで良いから、旅に必要な中国語をマスターしなきゃって本気で思った。
 
午後2時。
羅さんとハグをして、おばちゃんとハグをしてバスに乗った。
見えなくなるまで、手を振り続けた。
 
 
午後6時、バスは杭州に到着。
でも、バスステーションではないところに到着している。
みんな降りるから降りた。
地図を見てみると、杭州の街のど真ん中。
こっちの方が旅行者には便利。
でもさ、それにしても停まるところが予想外だと、かなりビビる。
一瞬だけど自分がどこにいるか分かるまではビビる。


聞くと、泊まろうとしている宿からかなり近い。
タクシーで行った。
満室だったので、紹介された宿に移動する。
あんまり楽しくない宿。
日本的に言えば、ビジネスホテル。
たぶんming tong hostelが買い取ったんだと思う。
で、まだ改装中なので中途半端な状態だった。

夕食は以前行った中華料理屋さんの2軒となりのお店に行ってみる。
なんとなく、変わらない感じ。
 
まあ、今日は何があっても満足。