万里の長城を歩いた
北京から電車やバスで1時間半で行ける観光地。
そこは、言ってみれば登山。舗装された山の登山。
最高斜度60度はあるかな、城ではないね。
そこにあったのは道。
軍事施設としての道。
それにしても長すぎて本当に蛮族を止められたのかな、って思う。
ちょっと中国史を読むと、蛮族退治に城壁の外に出た皇帝が逆に捕まったって読んだことがある。
その皇帝自体は、自分の義務を理解していたんだろうね。
ただ、皇帝自ら行くのは役割としては若干無謀かな。
古代ローマ好きのサイトゥーンだから、どうしても比べちゃうんだけど、
古代ローマはライン川とドナウ川を国境と考えていた。
当時の国境ってのは、防衛最前線。
ローマの考えからすると少ない軍隊での国防をするために、高速移動出来る環境を作った。
ライン川もドナウ川も基本的に勾配が緩い。滝がないもん。
だからローマ街道であったり、川沿いに組んだ防衛戦だったりするところはフラットで移動が早い。
そんなローマですら、滅亡する。
山の頂きを通る防衛戦は確かに美しい。
だけど対費用効果としては、そんなに効果的じゃないと思えた。
上り下りが多くて、高速移動には適さない。
だから、やっぱり思ったのは、これはピラミッドと同じで公共事業だったんじゃないかなって事。
この時代の感覚から言えば、攻撃は最大の防御のはず。
食べ物なくなって戦略なく略奪に来るんだから。
あえて防衛に回るのは産業が活性化していて、戦争をするのが不効率だから。
産業が活性化していて、壁を作るだけの経済力があったから。
なんじゃないかな。