人の事を気に出来るほど日本人は満たされているのかい

昨日の続き…
 
苦しみを共有することなんて出来る。そこにいる間だけでも。
一緒に何かをやることは出来るしお金を出すことだって出来る。
 
でも実際は、地元の人達が悲惨だと思っていなければ悲惨じゃないって事。
何を基準に悲惨って言葉を言っているのだろうか知りたいと思った。
 
世界一周もしたし、貧困国で騙されたりした。
本質的な人とは何かなんて事を、宗教以上に自分で考えた。
 
それにしても「僕の旅は素晴らしいからお金を出してくれ」なんて言ったことはない。
弱いものをダシにするもの好きではない。
 
旅は自分のためのものだと思っている。
誰かに、「僕頑張っているんだよ」ってアピールするものではない。
 
まあ、人それぞれではあるのだけど。
 
「最近の、僕を見て!」的な冒険家や旅行者を見ていて微笑ましいとは思う。
日本に住んでいる気分のままで旅行をするならば、どこに行っても東京にいるのと見えるものは同じだろうとも思うし。
 
いいんじゃない栗城史多みたいな登山家もいるんだし。
冒険のボの字も出来なくて、誰かの冒険を見て満足している日本人はいっぱいいるだろうからね。
 
旅は、自分が感動するだけでいい。
自分がしびれるくらい感動すれば、それでいい。