前提として、アメリカが優秀な国だと言うことではない。
そして、日本の全部がそう言うことではない。
でも、日本を外国から見ると、どうしても気になるところはある。
 
現実的に日本人が日本を外国から見られるというのは、
キリスト教の信者がキリスト教を客観的に見るほど難しいけど。
 
 
日本と韓国において、
社会として個人を最大限尊重する姿勢に出会うのは本当に希。
 
そして個人を尊重するというのは個人の責任、
つまり自己責任の上で成り立つのだが、
日本人は自己責任に生理的に抵抗があるのではないか…
という気がしている。
 
IT産業を比較するとアメリカではGoogleに代表される個人の発想を最大限に活用する就業体制を取るのが理想であり、それを実践するのが素晴らしい企業風土とされる。
日本でそこに相当するのが、softbankだろう。
softbankに関して、そんな話を聞いたことがあるだろうか。
 
結果として、新興産業が経営者と従業員で相乗的に伸びていく産業は常にアメリカにあるし、それがアメリカの力の根源の一つなのだと思う。
 
日本でそういう風土が育つ訳がない。
日本と韓国には個人を最大限に尊重するという価値観がないから。
 
人類史において大陸には常に人口以上の余裕があり、
島国や半島には人口を養える余裕が少ない。
この地政学上の条件ではないかと思う。
 
上司が婉曲に言う「俺も我慢しているからお前も我慢しろ」
という論理は大陸ではあまり聞かない。
中国ですら、魅力のない上司がそんな事を言ったら、部下は辞めてしまう。
 
日本と韓国。
この二つの国はお金はある。
そして、お金の比重が高すぎる気がする。
 
自己責任を回避した結果、知識・情報を個人が持っている場合が少ない。
無知の恐怖をお金で埋めようとしている場合が多い気がする。
でもお金では買えない。
 
それはどこかで聞いた地獄に似ている。