平気で気がつかないふりをする人たち4

たぶん、こういう話が目につくようになったのは、たぶん1990年くらいからじゃないかと思う。
 
携帯電話の普及の時期と絡む。
それまで電車の暇つぶしは、雑誌か漫画か新聞を見る事だった。
どれも基本的には暇つぶしなのだけど、新聞は文化的で偉く、雑誌はその下。漫画は無駄な娯楽と思われていた気がする。
 
いずれにしても紙媒体は、当時の会話のネタを得る上でそこそこ便利なものだった。

それが、携帯電話の時代になると、携帯メールが比重を占めるようになる。そして文字の入力は面倒で遅い。だから時間を潰すには丁度いい。無駄に携帯メールをするようになり、指向は完全にパーソナルな方向に向く。考える時間を潰す事が出来るので社会の話題の必要性も減り、考える時間も少なくて済むようになる。
  
とはいえ友人同士の会話なんてすぐにツマラナイ日常になってしまう。
つまらない日常をなんとかしようとして、また携帯を触る。
堂々巡りという事が起きる。
 
このスパイラルから抜け出すのは、かなり難しいと思う。
常習状態になってしまった携帯やモバイルは依存症に近い。
これは、ある意味では公害病のような新しい人為的な病気。
そして次々に、病気を助長するものが経済として合法で出てくる。
 
害だと言われていなかった時代のタバコと似ている気がする。

原因は何かと考えてみた。 
日本を海外と比べると、こんなに立場が変わる国は見た事がない。
会社では、社員で、上司より下。部下より上。お客に行けば下。
レストランに客で行けば、店の人より上。
とにかく色々と変化する。そして、この上下差を基準に色々な事が規定される。
 
日本は、相対値として偉さが簡単に変わる。そしてそれが当たり前だと思われている。ヨーロッパでは、レストランの店員が下で、客が上という概念がない。自分は自分が当たり前の世界である。